高鍋町(宮崎県)

高鍋町(宮崎県)
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宮崎で一番面積の小さいまち『高鍋町』

高鍋町は、宮崎県の海沿いのほぼ真ん中にある「歴史と文教の城下町」であり、長い歴史にはぐくまれた史跡や文化遺産が多くあります。
また、宮崎県一面積が小さいまちですが、そこには学校や商業施設などが集中しているので、とても便利なまちでもあります。田舎過ぎず、街過ぎず、生活するには”ちょうどいい”まちです。

『歴史と文教の城下町』

高鍋町は、海と山に囲まれた自然豊かな環境の下で、旧石器時代から人々が生活し、現代にいたるまで深い歴史が刻まれてきました。
藩政時代には、高鍋三万石の城下町として栄え、学問と教育の盛んなところとして有名でした。中でも7代藩主の秋月種茂公が設立した藩校『明倫堂』は、法曹界の重鎮と呼ばれた三好退蔵や、オーストリア大使で後に読売新聞社長となった秋月左都夫、住友を大財閥に育て上げた鈴木馬左也、3千人もの孤児の父となった石井十次など、多くの優秀な人材を世に輩出したことから、「文教の町」とも呼ばれます。
現在でも地名や街並みに城下町の名残があり、秋月種茂公が残した明倫の精神や先賢の教えは、学校教育や政(まつりごと)に取り入れられ、脈々と受け継がれています。

位置

九州の東側、宮崎県中央部海岸沿いに位置し、町内全域が沖積平野および洪積台地で、中央部を一級河川小丸川と宮田川が流れ、周囲三方を台地に囲まれた地形となっています。

春の高鍋城堀

基本情報

面積 43.80 km²
人口 19,474人(令和4年11月1日現在)
町長 黒木敏之(くろき・としゆき)
町名のいわれ 古くは「財部(たからべ)」と呼ばれていたが、寛文9(1669)年に財部城の修復を江戸幕府に願い出た際、併せて「高鍋」に改めたと複数の文献に記載されているほか、いくつかの説がある。
産業 農畜産業が盛んなほか、児湯郡や西都市を商圏とする小売店や飲食店が集中しており、第3次産業の比率が高くなっている。また、国や県の出先機関が集中していることや、近隣に航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地が存在することから、官公庁職員の割合も高い。
特産品 焼酎・お茶・羊羹・キャベツ・餃子
ホームページ http://www.town.takanabe.lg.jp/index.html

ふるさとの先人

石井 十次(いしい じゅうじ)

慶応1年(1865)~大正3年(1914)

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秋月 種茂(あきづき たねしげ)

寛保3年(1743)~文政2年(1819)

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